大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和32年(ワ)1622号 判決

原告 国

被告 全東栄信用組合

主文

一、被告は、原告に対し、

(一)(イ)  金六万四千百十八円およびこれに対する昭和三十一年九月十日から完済まで年六分の割合による金員

(ロ)  金九万千六百円ならびにこれに対する昭和三十一年四月十八日から同年八月二日まで金百円につき一日金七厘の割合による金員および同年八月三日から完済まで年六分の割合による金員

(ハ)  金十二万五千七百六十円ならびにこれに対する昭和三十一年四月十八日から昭和三十二年十二月二十九日まで金百円につき一日金七厘の割合による金員および昭和三十二年十二月三十日から完済まで年六分の割合による金員

(ニ)  金四万三千六百円ならびにこれに対する昭和三十一年四月十八日から昭和三十二年八月十日まで金百円につき一日金七厘の割合による金員および昭和三十二年八月十一日から完済まで年六分の割合による金員

(二)  昭和三十四年三月十三日以後金七千八百六十円ならびにこれに対する昭和三十一年四月十八日から昭和三十四年三月十三日まで金百円につき一日金七厘の割合による金員および昭和三十四年三月十四日から完済まで年六分の割合による金員

の支払をせよ。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は五分し、その四を被告、その余を原告の負担とする。

四、この判決は、原告が金十万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し(一)金十万円ならびにこれに対する昭和三十年十二月三十日から昭和三十一年六月二十三日まで年五分一厘の割合による金員および昭和三十一年六月二十四日から完済まで年六分の割合による金員、(二)金六万五千円ならびにこれに対する昭和三十一年三月九日から同年六月二十三日まで年五分一厘の割合による金員および同年六月二十四日から完済まで年六分の割合による金員、(三)(イ)金九万千六百円、(ロ)金十二万五千七百六十円、(ハ)金四万三千六百円および(ニ)金七千八百六十円ならびに右(イ)から(ニ)までの各金額に対する昭和三十一年四月十八日から同年六月二十三日まで金百円につき一日金七厘の割合による金員および同年六月二十四日から完済まで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、

一、請求の原因として、

(一)  原告は、訴外大木光学工業株式会社に対し昭和三十一年四月十七日現在において金四百五十九万六千七百九十九円の租税債権を有していたのであるが、その内訳は、左のとおりである。

(イ)  昭和三十年度物品税

金四百五十一万八千二百七円

納期

(1)  金二万四千二百五十七円につき昭和三十年八月三十一日

(2)  金三万三千六百円につき同年九月三十日

(3)  金五万九千百円につき同年十月三十一日

(4)  金四百四十万千二百五十円につき昭和三十一年二月二十九日

(ロ)  昭和三十年度および昭和三十一年度源泉所得税

金六万三千三百七十八円

納期 昭和三十年二月十日ないし昭和三十一年四月十日

(ハ)  右(ロ)についての加算税

金一万五千二百十四円

(二)  訴外大木光学工業株式会社は、昭和三十一年四月十七日当時被告に対して預金払戻債権を有していたのであるが、その内訳は、左のとおりである。

(イ)  定期預金払戻債権

(1)  定期預金番号 第七九号

元金十万円およびこれに対する昭和三十年十二月三十日(預入日)から年五分一厘の利息

払戻期日 昭和三十一年六月三十日

(2)  定期預金番号 第一一号

元金六万五千円およびこれに対する昭和三十一年三月九日(預入日)から年五分一厘の利息

払戻期日 昭和三十一年九月九日

(ロ)  定期積金払戻債権

定期積金とは、満期の属する月の前月まで契約によつて定められた期間毎月所定の金額を払い込み、満期に一定の金額と各払込の日から満期まで日歩金七厘の利息との払戻を受けるものであるが、満期までに所定の金額を払い込まないときにも、既払込金額と各払込の日から満期まで日歩金七厘の利息との払戻を受けることができるものである。

(1)  定期積金番号 紅第七三号

期間 昭和二十九年八月二日から昭和三十一年八月二日まで

満期に払戻を受ける金額 金十万円

既払込金額(昭和三十一年四月十七日現在。以下においても同様である。)金九万千六百円

(2)  定期積金番号 C第二五九号

期間 昭和二十九年十二月二十九日から昭和三十二年十二月二十九日まで

満期に払戻を受ける金額 金三十万円

既払込金額 金十二万五千七百六十円

(3)  定期積金番号 楓第七六号

期間 昭和三十年八月十日から昭和三十二年八月十日まで

満期に払戻を受ける金額 金十万円

既払込金額 金四万三千六百円

(4)  定期積金番号 C第三七九号

期間 昭和三十一年二月十三日から昭和三十四年三月十三日まで

満期に払戻を受ける金額 金三十万円

既払込金額 金七千八百六十円

(ハ)  普通預金払戻債権

金一万三千四百四円

(三)  原告の収税官吏である足立税務署長は、訴外大木光学工業株式会社が原告に対して滞納していた前記租税債務のうち昭和三十年度物品税および同年度源泉所得税中同年八月分まで、以上合計金四百五十六万三千百六十円を徴収するため、昭和三十一年四月十七日訴外大木光学工業株式会社が被告に対して有していた前記定期預金、定期積金および普通預金の各払戻債権(定期積金については既払込金のみの払戻債権)を、国税徴収法第二十三条の一に規定するところに従つて差し押えた。

(四)  かくして原告は、右差押にかかる訴外大木光学工業株式会社の被告に対する前記債権につき右訴外会社に代位することになつたのであるが、被告は、原告に対し前記普通預金を支払つたに過ぎない。そこで原告は、被告に対し前記定期預金の各元金およびこれに対する各預入日から払戻期日の到来した昭和三十一年六月二十三日(この日に払戻期日の到来した理由については後述する。)までの約定利率年五分一厘の割合による利息とその翌日から完済までの商法に定める年六分の割合による遅延損害金ならびに前記定期積金の各既払込金およびこれに対する前記差押の翌日である昭和三十一年四月十八日から払戻期日の到来した同年六月二十三日(この日に払戻期日の到来した理由についても後述する。)までの約定利率日歩金七厘の割合による利息とその翌日から完済までの商法に定める年六分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

と述べ、

二、被告の抗弁に対して、

(一)  被告主張事実中、足立税務署長が原告主張の債権差押をした当時被告が訴外大木光学工業株式会社に対して被告の主張するような四口の手形貸付金債権を有し、これを担保するために同会社から原告の主張する定期預金および定期積金の払戻債権に質権の設定を受けていたこと、訴外花城謙之が大蔵事務官として東京国税局の徴収部特別整理課徴税係に勤務していたことおよび被告から東京国税局長にあてた書面による被告の主張するような相殺の通知と普通預金の払戻金の送金が原告主張の日に右局長に到達したことは認めるけれども、被告と訴外大木光学工業株式会社との間の質権設定契約に被告主張のような特約があつたこと、足立税務署長が被告の主張するように被告に対して差押処分を取り消すべきことを約定したこと、訴外花城謙之が被告に対し被告の主張するような趣旨の指示を与えたことならびに訴外花城謙之が被告の主張するごとく差押処分を取り消す権限を有したことおよび訴外花城謙之の上司がその権限に基いて被告主張のような指令を同人に対してしたことは否認する。

(二)(イ)  訴外花城謙之は、元来原告の行政機関として国税滞納処分のための差押を取り消す権限を有したものでもなく、またそのことについて権限を有する同人の上司が同人に対して、足立税務署長が訴外大木光学工業株式会社に対してした差押処分を取り消すべきことを指令した事実も存せず、そもそも訴外花城謙之は、被告に対して被告の主張するような指示をしたことすらないのであるから、原告が右差押に基く債権の代位取立権を放棄したという被告の抗弁は理由がない。

(ロ)  被告は、さらに原告主張の被差押債権は、その差押後に被告が訴外大木光学工業株式会社に対する手形貸付金債権をもつて相殺したことにより消滅するに至つた旨抗争する。しかしながら仮にかかる相殺の事実があつたとしても、その相殺は、以下に述べるような根拠からして原告に対抗することができないのである。

(1)  被告が相殺の自働債権に供したという訴外大木光学工業株式会社に対する手形貸付金債権は、被告の主張するところによつて明らかなとおり、発生原因を各別にする四口の債権であつて、そのうち一口すなわち昭和三十一年四月十一日を弁済期とする金十万円の債権以外は、すべて原告主張の差押がなされた同年同月十七日現在においてはまだ弁済期が到来せず、従つて相殺適状になかつたものであるところ、一方受働債権についても、右差押の当時には弁済期が到来しておらず、しかもその差押によつて被告に対して支払差止の効力が生じたのであるから受働債権となり得る適格が失われることになつたのである。ところで受働債権が差し押えられた場合における第三債務者による相殺の許否について規定した民法第五百十一条の反面解釈から、被告の主張するごとく、差押前に自働債権が存在してさえおれば、差押当時に双方の債権が相殺適状にあつたかどうかを問わないで、差押後においても有効に相殺をすることができるものともいえそうである。けれども同条は、一方では差押の効力を全からしめて差押債権者の利益を確保し、他方では一般に相対立する債権が弁済期にある場合、当事者としては、相殺の意思表示前から既に対当額において決済されたと同様に考え、債権の取立にも債務の履行にもほとんど関心を失つているのが通常であることにかんがみ、こうした当事者相互の信頼を保護し、差押の一事によつて第三債務者に特段の不利益を蒙らせることのないようにしようとの考慮の下に、差押債権者と第三債務者の利害の調節をはかることを目的としたもので、民法第五百八条と同様の趣旨に出た規定であるから、両者の解釈は、平行的になされるべきもので、その間に異同があつてはならないのである。従つて被差押債権の債務者が反対債権による相殺をもつて差押債権者に対抗し得るためには、差押前に反対債権が存在していたというだけでは足りず、一般に対立債権が既に決済されていると考えられる状態、つまり両者が相殺適状にあつたことを要するものというべきである。ところで対立債権が相殺適状にあるといい得るためには、双方の債権がともに弁済期にあるかまたは両者については期限の利益が放棄されていなければならないのである。これを要するに、差押後に第三債務者のした相殺が差押債権者に対抗できるものであるためには、差押前に自働債権と受働債権とがともに弁済期にあるかまたは両者について期限の利益が失われていることを必要とし、単に差押当時に自働債権が存在していたとかあるいは差押の時までにそれについて期限の利益が放棄されれば相殺をすることができたであろうというような状態にあつただけでは足りないものというべきである。本件についていえば、既述のとおり、被告の主張する相殺における自働債権については、その四口のうち三口が差押の当時まだ弁済期になく、他方受働債権についても当時なお弁済期は全部到来しておらず、しかもこれら弁済期未到来のいずれの債権に関してもその債務者において差押前に期限の利益を放棄したようなことはなく、他に右利益の失われた事由も存在しないのであるから、双方の債権は差押当時にはなお相殺適状になかつたものといわざるを得ないのである。

被告は、被告と訴外大木光学工業株式会社との間の質権設定契約における特約をもつて、被告の主張する相殺が原告に対抗し得るものであることについての論拠にしようとしているけれども、原告としては、被告の主張するような特約の存したことを、上述のとおり争うのであるが、もし真実さような特約のなされたことがあつたにしても、原告は、この点に関する被告の主張に対して以下のとおり反論を加えるものである。被告の主張する特約は、結局のところせいぜい相殺の予約とみるほかないのであるが、かかる相殺の予約があつたからといつて、直ちに差押前に相殺の自働債権および受働債権が相殺適状にあつたものとはいい難いのである。元来相殺の予約に基いて相殺権が発生するためには如何なる要件が備わることを必要とし、かつ、相殺権が何時発生するか等については、当該予約をその趣旨に従つて解釈することによつて決せられるべきものであるけれども、予約に基いて相殺を行うためには、必ず常に相殺の意思表示が相手方に対してなされなければならないことだけは、論議の余地がないのである。何となれば、かような意思表示を持たないで、当事者の一方の内心の意思のみによつて任意に法律関係の変動を招来することができるものとするときは、不当に相手方の地位を不安定にするばかりでなく、予約の他の当事者と権利義務関係に立つ第三者の利益を阻害し、法的安全を危くする結果に立ち到るからである。してみれば被告の主張する特約にいわゆる被告において何らの通知をすることを要しないで相殺をすることができるということが相殺の予約に基く相殺について意思表示を必要としない趣旨であるとせば、かかる約定は絶対的に無効であるか、少くとも第三者たる原告に対する関係においては効力がないものといわなければならないのである。そうだとすると被告が右特約に基く相殺をもつて原告に対抗し得るためには、原告主張の足立税務署長による差押のなされた時までに、自働債権中弁済期未到来のものと受働債権との双方について期限の利益が失わしめられて相殺の適状がもたらされるとともに相殺の意思表示がなされたことがなければならないものというべきである。しかるに被告の主張するところによると、被告は右税務署長が差押をした昭和三十一年四月十七日の後である同年六月二十三日に始めて被告の主張する特約に基き訴外大木光学工業株式会社に対して相殺の意思表示をしたというのであるから、上述したところに照らして、被告が右相殺をもつて原告に対抗し得ないことは明白であるといわざるを得ないのである。

(2)  のみならず、被告の主張する相殺における四口の自働債権と六口の受働債権とは、いずれもその発生原因を異別にする別個のものであるところ、被告は、たゞた単に双方の債権の合計金額のみを示したゞけで、いずれの自働債権をもつてどの受働債権と相殺するかを特定するところがなかつたのであつて、かかる方法による相殺は無効とみるほかないのである。

なお、以上(1) および(2) において述べたごとく被告の相殺はその効力を生じ得ないものというほかないのであるが、それはともかくとして、被告が昭和三十一年六月二十三日に訴外大木光学工業株式会社に対して、原告が本訴において被告に支払を請求している定期預金および定期積金の払戻債権に対する相殺の意思表示をしたこと自体は動かし難い事実であるところ、かく相殺のなされた以上は、被告において当時弁済期の到来していなかつたことの明らかである受働債権につき債務者として期限の利益を放棄したことは疑いの余地がなく、このような期限の利益の放棄があつたということは、被告によつてなされた相殺の効力の有無に関係なく、これを抹殺し得ないものであるから、被告はこの時から右受働債権につき遅滞に陥つたものというべきである。

と述べ、

三、証拠として、

甲第一号証から第三号証までを提出し、証人花城謙之の証言を援用し、乙第一号証の一、二の成立、乙第二号証が訴外花城謙之から被告の係員に渡した名刺であることおよび乙第六号証の一、二の成立は認める、乙第三号証の一から六までは、公証人佐伯顕二名義の日附印の部分の真正であることは認めるけれども、その余の成立は不知、乙第四号証および第五号証の一、二の成立も不知と述べた。

被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、

一、答弁として、

原告主張事実中、原告が訴外大木光学工業株式会社に対して昭和三十一年四月十七日現在において原告主張のような租税債権を有していたことは知らないが、訴外大木光学工業株式会社が被告に対して右同日現在において原告主張のような定期および普通預金ならびに定期積金の各払戻債権を有していたこと、足立税務署長が昭和三十一年四月十七日当時訴外大木光学工業株式会社において原告に対し滞納していた原告主張の租税を徴収するため原告主張のような債権の差押をしたことおよび被告が原告に対して原告主張の普通預金を支払つたことは認める。

と述べ、

二、抗弁として、

(一)  原告は、差押によつて取得した被差押債権をその債権者に代位して取り立てる権利を放棄した。その経過は、次のとおりである。

原告が差し押えた訴外大木光学工業株式会社の被告に対する定期預金および定期積金の各払戻債権に対しては、被告が訴外大木光学工業株式会社に対して、後者から前者あてに振り出した約束手形を支払方法として、(イ)昭和二十九年十二月二十九日に弁済期を昭和三十一年四月十一日と定めて貸し付けた金十万円、(ロ)昭和三十年十一月二十五日に弁済期を昭和三十一年五月一日と定めて貸し付けた金六万円、(ハ)昭和三十一年三月六日に弁済期を同年五月二十九日と定めて貸し付けた金十四万円および(ニ)昭和三十一年三月二十四日に弁済期を同年六月十一日と定めて貸し付けた金十五万五千円の貸金債権を担保するために、かねて質権が設定され、かつ、右手形貸付金債権の弁済期前においても被告の都合により、前記定期預金および定期積金の払戻期日の到来したかどうかにかかわりなく、被告において何ら通知または催告をすることを要せずまた法定の手続によらないで右払戻金と手形貸付元利金とを差引計算することができる旨特約されていたところから、前記差押がなされた後被告より足立税務署長に右のような事情を説明して差押処分の取消を求めた結果、同署長はその取消をすべきことを約定したのである。それにもかかわらず、その後東京国税局長から被告に対し改めて前記差押にかかる定期預金および定期積金の支払が請求されたので、被告は、同局の係官である訴外花城謙之に対し、先に足立税務署長に対してしたと同様の折衝を試みたところ、昭和三十一年六月十日頃訴外花城謙之は、被告に対し、前記差押にかかる訴外大木光学工業株式会社の被告に対する定期預金および定期積金の払戻債権と被告の訴外大木光学工業株式会社に対する前記手形貸付金債権とを被告が相殺することを承認し、被告から東京国税局長に対して、被告が右相殺をした旨の通知を東京国税局所定の書式に従つて通知するとともに、前記差押にかかる債権のうち普通預金債権について弁済をするならば、前記定期預金および定期積金に対する差押処分を取り消す旨指示したので、被告は、その指示のとおりに昭和三十一年六月二十三日右の相殺をした上、同月二十五日東京国税局長あてにその通知の書面を発送するほか前記普通預金の払戻金を送金し、翌日右書面が到達し、かつ、右送金も領収されたのである。ところで訴外花城謙之は、大蔵事務官として、当時東京国税局の徴収部特別整理課徴税係に勤務していたのであるから、国税徴収法にいわゆる収税官吏に当り、国税滞納処分としての差押処分を取り消すことについても権限を有していたのであつて、同人が被告に対して前記のような指示を与えたのは、そら権限に基いたものである。仮にそうでないとしても、訴外花城謙之は、権限のある上司の指令に基いて右のごとく指示したのである。かくして訴外花城謙之の右指示により、原告が前記差押にかかる定期預金および定期積金を訴外大木光学工業株式会社に代位して被告から取り立てる権利は、原告によつて放棄された訳である。

(二)  仮に右取立権放棄の事実が認められないとしても、被告は、前述したとおり訴外大木光学工業株式会社と締結した質権設定契約の際の特約に基いて、被告の一方的意思表示により訴外大木光学工業株式会社に対する前記定期預金および定期積金の払戻債務と前記手形貸付金債権とを相殺したのであつて、この相殺は、その以前に受働債権を差し押えた原告にも対抗することができるのである。すなわち、民法第五百十一条によると、支払の差止を受けた第三債務者は、その後に取得した債権により相殺をもつて差押債権者に対抗することができないものと定められているけれども、差押当時に第三債務者が差押債務者に対して反対債権を有している場合において、第三債務者が差押後にした相殺をもつて差押債権者に対抗し得るかどうかの問題については、同条の直接規定するところではない。しかしながら同条の趣旨とするところは、差押債務者に対する第三債務者の地位を、差押ということによつてそれ以前よりも不利に陥れることのないようにしようとする点に存するものとみるべきであるから、差押によつて支払の差止を受けた第三債務者が差押当時既に差押債務者に対して反対債権を有している場合においては、たとえ対立する双方の債務が弁済期にあつていわゆる相殺適状を成しているかどうかにかかわりなく、第三債務者は、その債権による相殺をもつて差押債権者に対抗し得るものと解するのが相当である。しかも本件にあつては、上述したとおり被告と訴外大木光学工業株式会社との間の質権設定契約において、被告は、質権によつて担保される訴外大木光学工業株式会社に対する手形貸付金債権の弁済期前でも被告の都合により、質権の目的である定期預金および定期積金の払戻期日の到来の有無にかかわらず、被告において何ら通知または催告をすることも要せず、かつまた法定の手続によることなく右定期預金および定期積金に対する払戻金と前記手形貸付金とを差引計算することによつて決済することができる旨特約されていたのであるから、被告は、原告よりの差押がある以前において既に何時でも訴外大木光学工業株式会社に対して右特約に基き相殺をなし得る状態にあつたのであり、そのしかる以上は、この相殺がたまたま原告の差押後になされたものであつたとしても、これをもつて原告に対抗し得ることは当然であるといわなければならない。

叙上(一)または(二)のいずれの理由によるにせよ、原告は、前記差押を原因に訴外大木光学工業株式会社に代位して被告に対し差押にかかる債権の弁済を請求することは許されないのであるから、原告の本訴請求は失当である。

と述べ、

三、証拠として、

乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一から六まで、第四号証、第五号証の一、二および第六号証の一、二を提出し、乙第二号証は、被告の係員が訴外花城謙之に差押処分の取消方について折衝した際に同人からもらい受けた名刺であると説明し、証人須一郎、千代浦海昌および増田実の各証言を援用し、甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

一、訴外大木光学工業株式会社が昭和三十一年四月十七日現在において被告に対し原告主張のような定期預金、定期積金および普通預金の払戻債権を有していたところ、原告の収税官吏である足立税務署長が右同日訴外大木光学工業株式会社の原告に対する原告主張のような滞納税金を徴収するためにということで、右会社において当時被告に対して有していた前記定期預金および普通預金の各払戻債権ならびに前記定記積金についての既払込金の払戻債権を国税徴収法第二十三条の一の規定するところに従つて差し押えたことおよび被告が右差押にかかる債権のうち普通預金の払戻債権につき原告に履行を完了したことは、当事者間に争いがないところ、成立に争いのない甲第一号証によると、原告は昭和三十一年四月十七日現在において訴外大木光学工業株式会社に対し原告の主張するような租税債権従つて前記差押の基本債権を有していたことが認められ、この認定を動かす証拠はない。

ところで右のごとく足立税務署長によつて債権の差押がなされた当時訴外大木光学工業株式会社の被告に対する前記定期預金および定期積金の払戻債権が被告の右会社に対する被告主張の手形貸付金債権を担保するための質権の目的となつていたことは、当事者間に争いがないのであるが、右質権の被担保債権が国税徴収法第三条の規定によつて原告の前記租税債権に優先することについては、本件において何等主張立証されるところがないので、前段に判示したところからして、原告は、国税徴収法第二十三条の一第二項の規定に基き、前記差押にかかる債権中被告において既に原告に支払ずみの普通預金債権以外のものについて、その債権者である訴外大木光学工業株式会社に代位することになつたものというべきである。

二、そこで以下被告の抗弁について判断する。

(一)  被告は、まず、原告が訴外大木光学工業株式会社に対する差押に基いて取得した被差押債権をその債権者である右会社に代位して被告から取り立てる権利を自ら放棄した旨主張する。

(イ)  証人千代浦海昌の証言によつて成立の真正を認める乙第三号証の一から六までおよび第四号証(乙第六号証の一から六までの公証人佐伯顕二名義の日附印の部分の真正であることについては争いがない。)、証人増田実の証言によつて成立の真正を認める乙第五号証の一、二ならびに成立に争いのない乙第一号証および第六号証の各一、二に証人増田実、蜂須一郎、千代浦海昌および花城謙之の各証言を総合するときは、被告と訴外大木光学工業株式会社との間においては、前記質権設定契約が締結された際に、被告は、右質権の被担保債権の弁済期前でも被告の都合によつて、右質権の目的である債権の履行期の到来したかどうかにかかわりなく、何等の通知も催告も要せずまた法定の手続によらないでも右債権債務を差引計算することによつて決済することができる旨が特約されていたところから、被告は、右質権の目的とされた債権が前述のとおり訴外大木光学工業株式会社の租税滞納のために足立税務署長によつて差し押えられはしたものの、右特約に基く差引計算すなわち相殺をすることは差押によつて少しも妨げられるものではないとの見解を持して、東京国税局長に対し右差押の解除を申請しようということになり、昭和三十一年六月中旬、当時被告の三筋町支店に勤務していた増田実が訴外大木光学工業株式会社から依頼を受けた訴外蜂須一郎と同道して東京国税局に赴き、担当事務官であつた同局徴収部特別整理課徴税係の訴外花城謙之(同人が右のような地位にあつたことは、当事者間に争いがない。)に面会し、同人に対して前述のような被告の見解を説明するとともに持参した証拠書類を呈示して差押の解除を要望したところ、訴外花城謙之は、もし被告のいうような事実関係であるとするならば、被告の見解どおりに相殺が可能であるかも知れないけれども、なお調査の必要があるとのことであつたので、増田実等は、結論を得ないで立ち帰つたのであるが、その後数日経つた頃訴外花城謙之が前述の訴外蜂須一郎を帯同して被告の三筋町支店をたずねた際に、同支店の貸付係の千代浦海昌から訴外花城謙之に対して前記質権設定に関する契約証書の原本を呈示した上重ねて差押の解除を要請したところ、訴外花城謙之から、被告において訴外大木光学工業株式会社に対し相殺の意思表示をしたことを、書面で東京国税局長に通如されたく、なお前記質権設定契約証書の写を取りそろえて同時に送付されたいが、被差押債権のうち被告のために質権の設定されていない普通預金債権については、すみやかに被告において原告に支払をすべき旨の指示があつたので、被告は、同年同月二十三日訴外大木光学工業株式会社に対して、前記質権の被担保債権をもつて右質権の目的債権と相殺をする旨意思表示をなし、同日前記質権設定契約証書の写六通と前記普通預金の支払のために被告において振り出した小切手一通を添えて東京国税局長あてに右相殺についての通知書を発し、その頃それが同局長に到達し、右小切手が支払われたこと(右書類の到達および小切手支払の点については、当事者間に争いがない。)が認められ、この認定を左右する証拠はない。

(ロ)  ところで前掲証人千代浦海昌および蜂須一郎の各証言中には、訴外花城謙之が被告の三筋町支店において千代浦海昌と会談した際に、被告において訴外大木光学工業株式会社に対して相殺の意思表示をするとせば、原告はその相殺をもつて対抗されざるを得ないことを認めて、被告に対し右会社に対する相殺および東京国税局長あてその結果の通知等を指示した旨述べているものがあるけれども、後掲証拠に照らしてにわかに措信し難く、かえつて証人花城謙之の証言によると、花城謙之自身としては、当時被告の主張する相殺の対抗力を原告としても受忍しなければならないであろうとの意見に傾いてはいたけれども、最終の結論は、被告から相殺の通知および証拠書類の写の送付をまつてなお検討を加えた後でなければ出せないとして、そのことを千代浦海昌に告げた上で前叙のような指示を与えたことが認められるのである。

(ハ)  してみれば、訴外花城謙之が果して被告の主張するように、東京国税局の係官として差押処分の取消について権限を有していたかどうかはともかくとして、同人が前記のごとく指示したことによつて行政庁として、先に足立税務署長が訴外大木光学工業株式会社に対してした差押処分を取り消し、右差押によつて原告に帰属した債権の代位取立権を放棄したものとは、到底解されないのであつて、被告の前記抗弁は排斥せざるを得ないのである。

(二)  そこで被告のつぎの抗弁すなわち被告が訴外大木光学工業株式会社に対してした相殺をもつて原告に対抗し得るかどうかについて検討する。

(イ)  民法第五百十一条が、支払の差止を受けた第三債務者は、その後に取得した債権により相殺をもつて差押債権者に対抗することを得ない旨規定しているところからみて、第三債務者が差押前に取得した債権を自働債権として、差押を受けた債権と相殺をした場合には、その相殺をもつて差押債権者に対抗できることは論のないところである。けれども相殺は、いわゆる相殺適状にある相対立する債務について行われるべきものであるところ、双方の債務がともに弁済期にあるときはもちろんのことであるが、自働債権について既に弁済期の到来している以上は、たとえ受働債権が弁済期になくても、その債務者において期限の利益を放棄し得るものである限りにおいては、受働債権の債務者は、自らの期限の利益を放棄して相殺をなし得るものというべきである。そして右のような相殺適状にある債権債務についての相殺は、その受働債権が差し押えられた後においてなされた場合であつても差押債権者に対抗し得べく、この理は、差押が国税徴収法による滞納処分としてなされたものである場合についても異なるところはないのである。詳言すれば、徴税権者は、滞納租税の徴収のために、納税人の第三債務者に対する債権を差し押えた場合においても、差押によつて被差押債権の取立権を取得し、納税人に代つて債権者の立場に立ちその権利を行使し得るに止まり、第三債務者が差押当時既に有していた相殺権を行使することをまで制限するものではないと解すべきだからである。

(ロ)  ところで本件について調べてみるに、足立税務署長が原告の収税官吏として、原告の訴外大木光学工業株式会社に対する国税を徴収するために、昭和三十一年四月十七日差し押えた右会社の被告に対する原告主張のような債権を受働債権として、被告が右差押の後である同年六月二十三日に右差押前既に存していた被告の右会社に対する原告主張の債権をもつて相殺したことは、当事者間に争いがない。そしてこの事実からすると、前記差押の日時を基準として、被告が訴外大木光学工業株式会社に対して有していた債権、換言すれば右相殺の自働債権に供された四口の手形貸付金債権は、そのうち昭和三十一年四月十一日を弁済期とする一口だけが弁済期にあり、残りの三口についてはまだ弁済期が到来していなかつたことが明らかである。そうだとすれば、右弁済期未到来の三口の債権は、そもそも前記相殺における自働債権たり得ないものであつたといわなければならない。

この点に関して、被告は、被告と訴外大木光学工業株式会社との間の質権設定契約に際して、被告は、質権によつて担保される右会社に対する手形貸付金債権の弁済期前でも、被告の都合により、右債権と質権の目的とされた右会社の被告に対する債権とを、後者につき履行期が到来したかどうかにかかわりなく、何らの通知または催告を要せず、かつまた法定の手続によることなく差引計算することによつて決済することができる旨特約していたから、右特約に基いて、前記相殺の自働債権が前示受働債権の差押当時になお弁済期になかつたとしても、相殺は許されるべきものであると主張するので、その当否について考えてみる。

右に摘録したような特約のなされていたことは、先に(一)の(イ)において判示したとおりであるところ、この特約は、相殺に関していえば、被告に対して相殺権を附与することを内容とする相殺の予約に当るものとみるべきであつて、かかる予約に基く相殺の効力は、相殺権を附与された者が予約完結権の行使によつて相殺の意思表示をしたときに始めて生ずるものというべきである(従つて前記特約において、被告が訴外大木光学工業株式会社に対して何らの通知を要しないで相殺をすることができる旨約定されているところは、元来法律関係の変動は、特別の場合を除いて意思表示によつてのみ生ずべきものであることからいつて法律的には無意味であり、被告もこの約定に基いて相殺の効力が発生したことを主張しているのではない。)。ところで債権の差押によつて支払を差し止められた第三債務者が差押にかかる債権と反対債権との相殺をもつて差押債権者に対抗できるかどうかは、もつぱら法律の規定するところに従つて決せられるべきものであつて、単なる私人間の契約によつて法律の認めるところ以上に相殺の対抗力を拡張しようとすることは、差押による処分禁止の効力を維持するために、第三債務者による相殺に対して一定の制限を設けようとした法律の精神をみだりにふみにじることを容認する結果を招くことになり、到底許されるべきものでないといわなければならない。してみると被告が訴外大木光学工業株式会社との間の前記相殺の予約に基く相殺をもつて、前記差押当時になお弁済期の到来していなかつた三口の手形貸付金債権を自働債権とするものについても差押債権者である原告に対抗し得るためには、少くとも右差押の時までに右三口の自働債権について弁済期を到来させる措置が講じられていたことが必要なのであるが、さような事実のあつたことを認め得る証拠は、本件において全然現われていないのである。

さすれば被告のした前記相殺は、少くとも前述のとおり差押当時まだ弁済期になかつた三口の手形貸付金債権を自働債権とする部分についてはその効力を生ずるに由がなく、従つて原告に対抗することもできないものといわなければならない。しかしながら右差押当時既に弁済期の到来していた金十万円の手形貸付金債権を自働債権とする部分に関する限りにおいては、これを有効と解すべきである。これを詳述するに返還の時期を定めて金銭が寄託され、その寄託金に対して、利息が附せられる約定である場合においては、期限の利益は、単に受寄者のためにばかりでなく寄託者のためにも存するのであるけれども、受寄者において寄託者に対して返還期日までの利息を支払つて、寄託者が約定の返還期日の到来前に寄託金の返還を受けることにより蒙るべき利益の喪失を補填するならば、自らの有する期限の利益を一方的に放棄することができるのであるから、本件においても被告は、訴外大木光学工業株式会社との定期預金および定期積金契約に基く払戻債務につき、右会社がその債権者として有する期限の利益を害さない限り、いいかえれば同会社に対して約定期間中の利息を支払うならば何時でも自らの期限の利益を放棄し得る地位にあつたものというべきであるところ、被告が右会社に対して前記のとおり相殺の意思表示をするに当り特に反対の事情のあつたことを認め得る証拠はないので、被告は、右相殺をするために、その受働債権の債務者として自己の債務について適法に自らの期限の利益を放棄したものと解すべきである。そのしかる以上は、上述したごとく被告から訴外大木光学工業株式会社に対する相殺の意思表示が足立税務署長においてその受働債権を差し押えた後になされたものであつたとしても、前記金十万円一口の手形貸付金債権を自働債権とする部分に限り、被告が右相殺をもつて差押債権者である原告に対抗し得ることは、前出(イ)において説示したところに徴して明白であるといわなければならない。

さすれば前記相殺が訴外大木光学工業株式会社に対する自働債権全部について有効であるとする被告の所論および自働債権中差押当時に弁済期の到来していたものについても右相殺が無効であるとする原告の主張は、いずれも相殺適状に関する独自の見解を前提とするものであつて採用し難い。

しかるに原告は、被告のした相殺は、その発生原因をそれぞれ異にする四口の自働債権と六口の受働債権とを各別に表示することなく、ただ単に各々その合計金額のみを示してなされたものであつて、かようにいずれの自働債権をもつてどの受働債権と相殺するかを確知することができないような方法による相殺は無効とみるほかないと主張するのである。しかしながら相殺の意思表示において相対立する債権がその他の債権と区別し得る程度に特定されていて、その同一性を認識するのに欠けるところがなければ、たとえその登生の日時および原因等が詳細に表示されていなくても、相殺の効力には何らの消長をももたらすものではなく、かつまた自働債権および受働債権がそれぞれ二個以上ある場合において、当事者のどちらからもいずれの債権をもつていずれの債務と相殺するかが指定されなかつたとしても、民法第五百十二条によつて弁済の充当に関する同法第四百八十八条ないし第四百九十一条の規定が相殺に準用されることになつているので、右の設例のような相殺の場合における充当に事欠くことはなく、それがために相殺の効力が左右されることはあり得ないものというべきである。本件についてこれを検するに、成立に争いのない乙第一号証の一、二および証人千代浦海昌の証言によると、被告は、訴外大木光学工業株式会社に対して相殺の意思表示をするに当り、自働債権たる四口の手形貸付金債権については、各々の元金額、貸出の日時および支払期日を表示し、受働債権としては、訴外大木光学工業株式会社の源泉所得税その他の滞納租税を徴収するために足立税務署長が昭和三十一年四月十七日差し押えた二口合計金十六万五千円の定期預金ならびに四口合計金八十万円を給付契約金とする定期積金中四口合計金二十六万八千八百二十円と表示したことが認められ、この認定を動かす証拠はないところ、右程度の表示があれば、相殺に供されるべき債権債務の特定に欠けるところはないものと解すべきであるから、原告の前掲主張は失当であるといわなければならない。

三、原告が訴外大木光学工業株式会社に対する債権差押によつて被差押債権につき同会社に代位することになつたことは、上述したとおりであるところ、国税徴収法第二十三条の一第二項の規定による代位権は、右法律の規定によつて創設的に付与されるものであつて、収税官吏は、その代位権の行使により政府の名において被差押債権の取立をなし得べく、この取立は滞納者の代理人または承継人として滞納者の名においてなされるものではないけれども、この場合においても取り立てられるべき債権は、差押債務者が第三債務者に対して有する債権そのものにほかならないのであるから、代位によつてその取立がなされるとはいえ、第三債務者は、本来の債権者が自らその履行を請求する場合に比して格別不利な地位に立たされるものでないことは、右に述べた代位の本質からみて当然の事理である。ところで被告が訴外大木光学工業株式会社に対してした相殺が弁済期を昭和三十一年四月十一日と定める金十万円の手形貸付金債権を自働債権とする部分について有効で、その受働債権に対する差押債権者である原告に対抗し得るものであることは、上述したとおりであるので、これによつて右被差押債権のうちいずれが消滅したかについて考えてみる。右相殺に当つて被告および訴外大木光学工業株式会社のいずれからかでも、どの自動債権をもつてどの受動債権と相殺をするかということについて特に指定のあつたことを認め得る証拠はないので、結局民法第五百十二条によつて相殺に準用すべきものとされている弁済の充当に関する規定に従つて処理すべきものであるところ右に述べた相殺に供されるべき自働債権は、その元金十万円およびこれに対する弁済期の翌日である昭和三十一年四月十二日から相殺の当日である同年六月二十三日まで七十三日間の遅延損害金五千百十円(証人千代浦海昌の証言により成立の真正を認め得る乙第四号証および同証言によつて認められる約定の日歩金七厘の割合で算出した。なお、右自働債権の元本に加算すべき利息金の存したことについては、何らの主張も立証もなされていない。)の合計金十万五千百十円となるので、これとの相殺によつて消滅されるべき受働債権を、民法第四百八十九条の規定に従つて、利率が高くかつ弁済期のまず到来すべきものの順序によつて選んだ上、同法第四百九十一条に規定するところにより充当の指定をするとつぎのとおりとなる。すなわち原告主張の定期預金番号第七九号の定期預金の元金十万円およびこれに対する預入日の昭和三十年十二月三十日から弁済期の当日である昭和三十一年六月三十日まで六箇月一日間についての約定利率年五分一厘の割合による利息金二千五百六十三円(六箇月分の利息金は一箇年分の利息金五千百円を十二分した金四百二十五円を、一日分の利息金は右一箇年分の利息金を三百六十五分して銭位を切り捨てた金十三円をそれぞれ単位として算定した。)の合計金十万二千五百六十三円と原告主張の定期預金番号第一一号の定期預金の元金六万五千円に対する預入日の昭和三十一年三月九日から弁済期の当日である同年九月九日まで六箇月一日間についての約定利率年五分一厘の割合による利息金千六百六十五円(六箇月分の利息金は一箇年分の利息金三千三百十五円を十二分して銭位を切り捨てた金二百七十六円を、一日分の利息金は右一箇年分の利息金を三百六十五分して銭位を切り捨てた金九円をそれぞれ単位として算定した。)および元金の内金八百八十二円の合計金二千五百四十七円、以上総計金十万五千百十円が右相殺によつて消滅したことになる訳である(前出二の(ニ)の(ロ)末段において判示したところから知り得るとおり、被告は、訴外大木光学工業株式会社に対して相殺の意思表示をするに当つて、自働債権および受働債権の元金額のみを表示したに止まり、その充当関係について本文で述べたような利息または遅延損害金を明示するところはなかつたのであるが、特に反対の意思を被告が有していたものと認めるべき証拠のないことにかんがみるときは、右のごとき対立債権の表示をその特定のためになされたものとみて、それらの中に利息または遅延損害金債権も含まれていたものと解するに支障はないものというべきである。)。

四、しからば原告は、前記被差押債権のうち、被告の相殺によつて消滅に帰した前記債権以外のものについてのみ、その債権者である訴外大木光学工業株式会社に代位して被告に対しその弁済を請求し得るものというべきである。さてこの場合においても、右被差押債権の債務者である被告がその履行に関して、本来の債権者である訴外大木光学工業株式会社に対して弁済をする場合に比して何ら不利な地位に立つものでないことは、既に前出三において説明したとおりであるところ、右に述べた代位による原告の取立の目的となるべき債権の弁済期(但し前記定期預金番号第一一号の払戻債権については、相殺のために被告によつて期限の利益が放棄されて当時弁済期が到来したのであるから、ここでは論外とする。)について調べてみるに、この点に関する訴外大木光学工業株式会社と被告との間の約定だけからいえば、右弁済期はいずれも前記差押後に到来することが明らかである。ところで原告は、被告が訴外大木光学工業株式会社に対して上述のように昭和三十一年六月二十三日相殺の意思表示をしたことをとらえて、この時に前記被差押債権の債務者である被告は、自らの期限の利益を放棄したものとみるべく、右相殺の効力の如何は被告が右のように期限の利益を放棄したことをまで否定することはできない旨主張するのである。しかしながらこの議論は到底是認し得ないものである。何となれば被告によつてなされた右相殺が当時弁済期の到来していなかつた被告の訴外大木光学工業株式会社に対する三口の手形貸付金債権を自働債権とする部分については原告に対抗することを得ないことは前叙のとおりであるところ、なる程期限の利益の放棄と相殺とは観念的には別個のものであるとはいえ、被告が前記相殺をするについて受働債権につき自らの期限の利益を放棄したのは、あくまで相殺が有効であり、これをもつて原告に対抗し得ることを前提としたものと認めるべきであるから、両者の効力の有無は統一的に決定すべきものであり、その一方を無効としながら他方を有効とみようとするようなことは許されるべき筋合のものではないと解するのが相当である。そうだとすれば、原告が右差押に基いて取得して代位権の行使により被差押債権の債務者である被告に対して如何なる請求をすることができるかは、本件における口頭弁論終結当時すなわち昭和三十三年二月六日現在を標準として定められるべきものであるというべきところ、右日時を基準にすると前記被差押債権中被告が原告に対して弁済すべき債権は、前述のとおり被告が期限の利益を放棄したことによりその当時既に弁済期にあつたものとして原告主張の定期預金番号第一一号の定期預金債権のうち前述のごとく相殺により消滅に帰したものの残部と約定の弁済期を既に経過したものとして原告主張の四口の定期積金のための既払込金についての払戻債権のうち満期を昭和三十四年三月十三日と定めるもの以外の三口のほか、弁済期未到来のものとして右において除外した定期積金のためにする既払込金払戻債権一口、以上合計五口であるから、原告は、被告から右債権の弁済を得るため被告に対して、(一)前記定期預金中相殺による残元金六万四千百十八円およびこれに対する弁済期の翌日である昭和三十一年九月十日から完済まで商法に定める年六分の割合による遅延損害金ならびに(二)原告主張の定期積金のための既払込金の払戻として(イ)金九万千六百円、(ロ)金十二万五千七百六十円および(ハ)金四万三千六百円と右各金額に対する昭和三十一年四月十八日(この日時は原告の主張による。)からその約定の満期すなわち(イ)について同年八月二日、(ロ)について昭和三十二年十二月二十九日、(ハ)について同年八月十日まで約定利率の日歩金七厘の割合による利息(原告は、右各定期積金のための既払込金についての払戻債権に関しては、被告がこれに対して相殺の意思表示をした昭和三十一年六月二十三日に弁済期を到来したと主張するけれども、その理由のないことは上述したとおりである。)および右各約定の満期の翌日から完済まで商法に定める年六分の割合による遅延損害金の即時支払のほかに、(三)右(二)に掲げる以外の定期積金のための既払込金七千八百六十円とこれに対する昭和三十一年四月十八日(この日時も原告の主張による。)からその約定の満期である昭和三十四年三月十三日まで約定利率の日歩金七厘の割合による利息(原告が右日時以前の昭和三十一年六月二十三日に弁済期が到来したと主張するけれども、その理由のないことは、叙上のとおりである。)および右約定弁済期の翌日から完済まで商法に定める年六分の割合による遅延損害金の右約定の満期到来以後における支払を請求し得るものということができるのである。なお、附言するに、原告は、右において原告が将来被告に対して支払を請求し得るものと認めた債権についても、既にその履行期が到来しているものとして現在の給付を求めているのであるが、その不当であることは先に明らかにしたとおりであるところ、本件における被告の応訴振りからみて、原告においてあらかじめその請求をする必要があるものと認められるので、かかる請求としてこれを認容すべきものとする次第である。

五、よつて原告の本訴請求は、上述した範囲において理由があるものとして認容すべきであるが、その余は失当であるからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条および第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例